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私の音楽日記

つぶやき日記

封建的な日本のピアノコンクール

 

  お盆過ぎ頃、先生の生徒さん数名が隣市ピアノコンクールに参加するので

 勉強になるから一緒にどうかと誘われたものの、結局、気乗りせずに

 やんわりとお断りして行かずじまいになった。

 

 先日、ピアノコンクールはいかがでしたが?と尋ねたら

 先生はひどく落ち込んでおられた。

 

 賞レースというのは、先生方にとっては品評会のようなもので

 結果次第では、生徒以上に指導した先生側が落ち込むことになる。

 

 子供達の演奏は決して悪くなかったのに、講評は悪いもので

 「メロディの歌わせ方がはっきりしない」といった内容。

 先生が聴いた限りはきちんと解釈できた演奏だったという。

 金賞を取った生徒さんこそ大雑把な演奏だったので、

 どういう基準で入賞者が選ばれたのかわからないというものだった。

 

 昔から選考基準がわからないのはよくあることで

 「賞レース=出来レース」に近い事がある。

 

 審査員先生と生徒の指導者が通じあう間柄だったりすると、

 子供の演奏内容よりも先生間派閥のようなものが働く場合があり

 審査員先生が推奨してきた奏で方を伝統的に受け継ぐ流れも

 入賞圏内に入るポイントになる。

 

 たとえば、きちんと正しく解釈できてエレガントな音色で

 音の粒の揃った美しい演奏ができる参加者よりも、

 雑でもとにかくダイナミックに会場に響き渡る大音量で

 叩いて演奏した参加者の方が有利になることが多い。

 そこに優れた解釈など必要としないことはよくある。

 

 だから、賞レースでは聴かせる演奏の必要がなく、

 審査員方を喜ばせる演奏をして入賞を狙う方が得策になる。

 それは日頃指導している事とは逆行した演奏法を学ばせることに

 等しく、国内の賞レースではレガート奏法は通用しない事が多いし

 むしろそれをやったらアウトになる。

 

 何故、レガートな演奏を求められないかといえば、

 審査員先生が、それを指導法に取り入れてこなかったから。

 

 日本のピアノ音楽の世界は封建的な権力社会で成り立つので

 逆らうと目もかけてくれず講評用紙も批判的なことしか

 書かれないので指導することに自信を失くすことになる。

 

 派閥の強者にとっては、やり方の違う相手を否定して

 やりこめるのが目的なのだから仕方がない。

 ピアノ音楽教育の優劣は、今のところそういうことで

 成り立っているし度量が狭いのでバカバカしい。

 

 それでも、そういう世界と上手くつき合うことができる先生の

 生徒さんは入賞することで音楽大学受験でも内申書の賞罰が

 有利に働くことがある。

 子供の将来を左右することがあるレベルの話になってくる。

 

 子供が4歳くらいでピアノを習い始める前から、将来はうちの子を

 ピアノコンクールを受けさせたいんです、音大受験したいんですと

 ピアニストにしたい親御さんがいるけれども、そういう教育熱心な

 親御さんは、賞レースに強い封建的な先生の指導を受けられた方が

 良いのだろう。

 

 たまに、話を聞いていてああ教育熱心なお母さんだなと

 感じる時は、最初から私では役不足ですからと指導を

 遠慮することがある。

 音楽を拷問のように扱いたくないので、窮屈な賞レースに

 関わるのが難しいかなと思うことがある。

 

 

 これらの動画、すぐに見られるところにないと困る

モーツァルトソナタKv545 バレンボイム演奏

 

ピリス演奏

    リヒテル演奏

]

 グールド演奏