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私の音楽日記

つぶやき日記

命ある芸術について

 尾崎喜八が友人の高村光太郎に寄せた詩(後半部分)

「友」より 尾崎喜八

 

 君の存在と共に結局はいつか滅びるもの、

君に属するものの中で最ももろいはかない部分、

そしておそらくは最も美しい部分

君のこの世の姿を、雰囲気と、その生活法とを私は見た

 

生命を形にたくす君の仕事は

それ自身ひとつの永遠を生きるだろう

それはいい。しかし君の存在の夏の虹

生活そのものである傑作を幾人の者が記憶するか

 

その美のもろいことが時にわたしを涙ぐませた

しかしそのもろい美がわたしに一層深く君を愛させた

友よ、私は君の「人間」の匂いに触れた

あそこで、あの折れ重なる山々の間で。

抜粋

 

 

 「生命の創造」より 高村光太郎

 

 生命を持たないものは芸術ではない。
 命を内に蔵されない作物は、
 過去・現在・未来にわたって
 決して芸術であり得ない。

 その代わり、いのちを内に持つものは
 ことごとく芸術である。
 一見芸術を逸脱する如く見えるものも
 また結局それが芸術の本道となる。
 芸術は無限にひろがって窮極するところがない。

 いのちを内にもたないものは、
 その見かけの如何にかかわらず、
 必ずあとから消えてなくなる。

 

命あるものを見るのは無限にたのしい。
命あるものは また無限にかなしい。

抜粋

 

私には尾崎喜八の「友」である高村光太郎への

想いや心情がよくわかる。

でも高村光太郎は「知恵子抄」のおかげで作品を通じて

今の時代でも多くの日本人にとって記憶に残る詩人であり

芸術家としての功績も高く評価されている

 

高村光太郎の詩は芸術の価値について触れてある

いのちを内に持つものはことごとく芸術。。

これはわかる

生命を持たないものは芸術ではない、、

何を指しているんだろう?

 

 

音楽も芸術

同じ演奏は二度とできない。

演奏がうまくいったと思う時は

一瞬、大きな花火が花開いた喜びを味わえる

けれども、一瞬で消えてしまい形が残らない

 

ただ確実な奏法を身につけていれば

それまでよりもっと出来の良いものに

めぐりあえるような気がして

再びその喜びを味わいたいから

ずっと続けているようなところがある

 

演奏は一瞬で終わってしまうけど

作詞や作曲して産みの苦しみが大きい分

ずっと作品として後世に残るから

 

ブログ、少し時間かかるけど

スクロールして全部読みますから